2025 | 4_22 | Tuesday
ブログ徒然なるままに「北欧の見立てとしての酒器」
久々にブログ「徒然なるままに」のコーナーを更新です。今回は北欧の見立てとしての酒器というテーマから、常日頃感じたことをお話いたします。
最近、ベルント・フリーベリなどの小鉢を酒盃に見立ててお酒をいただく機会が何度かありました。ここまで本格的に酒盃としていただいたのは実は初めての経験でして、しかもこれが抜群にお酒が美味しくなるという衝撃的な出会いをいたしました。フリーベリの薄い口縁を唇に伝う、日本酒の美味さはまさに格別で、それは脳天を思いっきり殴られるぐらいの衝撃が、全身を走った程でした。以前から酒器やお茶碗として見立て、北欧作品をご紹介をすることはありましたが、正直、北欧陶芸を販売をする側として、そこまで売り物としての作品を何度も使用することができず、お客様などから、毎日お茶を点てておられたり、酒器として楽しまれているというお話を伺って、己の心を満たしている自分がおりました。
元々北欧美術陶芸品全般において、東洋的な器のオブジェとして作られており、使う目的では一切作られておらず、その中でも時より、酒器やお茶碗などに手取り良いサイズと形の作品が偶然の出会いの様に現れるのを、日本人の目線から見立てて楽しむというのが、当店の一つのテーマでもありました。本来は使用目的で作られてはおりませんから、見立てという言葉を用いますが、販売の際に盃や碗という名前を用いますと、そこには何かしらの後ろめたさや遠慮が入っているのも確かです。しかし実際に酒盃として使ってみると、これが頗る楽しいのであります。今までいかに売る側の目線でしか北欧作品を考えられなかったのか。もっと素直に、そして自由に楽しんで良いのだと、初歩の初歩から教えられた気がしたのです。また売る側としては、一つ一つの造形や出来に厳しく入り込み、コレクション対象として作品を選んでいくのですが、酒器として使うものはむしろ、釉に光沢のある肌の方が、また口縁の厚い緩やかな晩年の作品の方が使いやすく、お酒が美味いこともありました。より肩の力が抜ける感覚です。
昨今の作品高騰や世界的な市場の変化で、中々手にできない北欧作家も増えてまいりましたが、まだまだたくさんの見立てに使える作品が数多く市場にはあります。そして時を同じくして、様々な北欧作家の作品たちが私の元へと集まって来てくれました。兎にも角にも、より多くの皆様にもう少し北欧陶芸作品を楽しんで使ってもらいたいという、北欧器の初歩に帰りまして、来月には「北欧酒器展」そして久しぶりの作品帖(デジタルブックですが)をお送りしたいと考えております。乞うご期待くださいませ。
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